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酒器 / 盃洗

盃洗の高価買取なら、年間累計買取実績1200件以上の江戸市川が大切なお品を確かな鑑定力で見極めます。

盃洗は一つの盃をもって人間関係を強固にする風習が生まれてから作られるようになった酒器です。自分の口が触れた盃をそのまま相手に渡すことは礼儀に反すると考えられ、盃を洗うための道具が考案されました。江戸時代では「盃澄ましの丼」と呼ばれ明治になり「盃洗」と言われる様になりました。
茶道具としても茶懐石などに用いられることがあります。

因みにですが「夫婦水入らず」などの肉親や親族間を表す慣用句は「盃洗を必要としない間柄」という意味合いから生まれた表現となっております。
お持ちの盃洗のご売却や処分を検討されていましたら是非「江戸市川」にお問い合わせ下さい。電話0120-456-956・メール・LINEでのお問い合わせを承っておりますのでお気軽にご相談下さいませ。

盃洗

盃洗の高価買取ポイント

高額買取されやすい盃洗は

盃洗は茶懐石や酒宴で盃を洗うための道具です。
盃洗が茶懐石や酒宴で用いられるようになったのが江戸時代後期頃からと云われておりますので酒器としては時代の若いものの部類に入るかと思います。
素材は陶磁器や金属製、蒔絵などの漆器・塗物がほとんどです。

盃洗の中で高額買取となりやすいのが先ずは作家ものです。盃洗は茶道具のひとつでもあるため茶陶を制作している有名な陶工の作品も少なくありません。千家十職のひとつ「土風炉・焼物師」の永楽善五郎も多くの盃洗を制作しており盃洗の中でも高額買取対象となります。

江戸時代後期の伊万里焼や明治期の九谷焼などの磁器製のものも買取対象となります。
また江戸後期や明治時代の盃洗には金蒔絵の漆器もございます。絢爛豪華な金蒔絵の盃洗もまた高値買取対象となります。

盃洗を高値で売る際のポイント

盃洗は茶道具でもありますので、いわゆる「作家もの」でしたら共箱の有無は盃洗高額買取において大変重要な要素となります。千家十職のひとり永楽善五郎の作品は高値で取引されるため贋作も多く存在します。善五郎らしい意匠はもちろん、きちんと本人の手により箱書きされた共箱がありますと作品への信ぴょう性も増し高値での買取となる可能性が高くなります。
また共箱に準じたもので三千家家元など識者の識箱もまた作品の信ぴょう性を担保しうる証書となり高額査定となるケースもございます。

盃洗の査定ポイント

先ずは盃洗の保存状態をご確認下さい。陶磁器製盃洗の場合、傷や欠け、ニュウなどは査定においてマイナス評価となります。漆器の場合は日本の高温多湿な気候からカビが生えてしまうこともあります。漆器にとってカビは天敵ですので査定に大きく関わります、是非ご注意くださいませ。

盃洗に関するよくある質問

盃洗の査定や買取で出張料金は発生しますか?

いいえ、私たち酒器買取専門「江戸市川」では盃洗など酒器や骨董品の査定や買取に際し手数料は一切いただいておりません。加えて全国出張買取も無料で承っておりますのでご安心してご連絡くださいませ。

茶道をやっていた祖母の遺品なのですが、倉庫にしまったままだったので汚れています。査定前に掃除した方がいいですか?

できる限りそのままの状態で拝見できればと存じます。陶磁器製の盃洗は重量もあるため清掃中に思わぬ割れなどの傷を作ってしまう恐れがあります。また漆器についたカビは除去と同時に金蒔絵などの装飾も剥がれてしまう恐れもございます。

盃洗の買取相場はどのくらいですか?

盃洗の内容により買取価格は変動します。江戸時代後期の伊万里焼は日本国内向けの日常雑器を多く製造したため一般的に買取価格はそこまで高くないのですが、盃洗は雑器というより料亭などで使用された高級品であったため伊万里焼後期の作品の中でも買取価格が高いものもございます。

盃洗の他にも徳利やぐい呑みなどの酒器が大量にあるのですがどうしたらようですか?

私たち「江戸市川」は酒器を主とした買取店でございます。盃洗以外の酒器や酒道具も一点一点お客様に寄り添った査定を心がけておりますで是非お問い合わせ下さいませ。

盃洗の歴史

盃洗とは

盃洗は酒器の中でもあまり一般的ではなく、今の酒文化ではあまり使用されていないかもしてません。盃事の慣習は徐々に失われつつあり「献杯」や「お流れ頂戴」といった言葉はごく限られた席でのみ使われているのが現状と言っても過言ではないでしょう。

盃事はひとつの盃を用いて酒をくみかわすことで人と人との縁を強固にするために行われました。酒宴において目下の者から目上の方に、茶懐石ではもてなし役・亭主から正客へ盃を献ずることを「献盃」、逆に目上の人や正客から盃を頂くか請求することを「お流れ頂戴」といいます。
盃洗は盃を洗い御返盃する際に用いられた道具です。茶会では盃洗がない場合は懐紙を使用します。

江戸時代後期の天保15年(1844)に発行された『寛至天見聞随筆』には「盃あらひとして丼に水を入れ」という当時の描写があり、当時は盃洗というよりもむしろ丼のような大きな器が盃洗として用いられていたようです。
その後華やかな酒宴や茶懐石での使用を前提とした、繊細な染付線描が施された伊万里焼などの磁器製や金蒔絵の漆器・塗物の盃洗が制作されるようになったと云われております。

明治以降になりますと酒宴より自宅で一人で飲む風習が流行するようになり盃洗の出番は少なくなっていきます。
今では盃洗は従来通りの盃洗という役割と共に、コンポート、もしくは花入などに見立てられて使用されている例も少なくありません。現代のライフスタイルの中で新しい和モダンのアイテムとして用いられていくのも骨董品としてのあるべき姿なのかもしれません。