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酒器

酒器の高価買取なら、年間累計買取実績1200件以上の江戸市川が大切なお品を確かな鑑定力で見極めます。

酒器とはお酒を飲む際に用いる道具です。
有史以前より酒と信仰の結びつきは強く、酒器は祭祀器・つまり神々へ奉げるための道具としての意味合いが元来ございました。
そして酒の文化は古今東西問わず存在し、酒器もその数だけ存在します。
ここでは私たち人の生活に最も身近な骨董品のひとつと言っても過言ではない酒器の買取に際しポイントとなる点をご説明したいと思います。

酒器

酒器の買取対象品

酒器の買取対象作家

荒川豊蔵・岡部嶺男・加藤卓男・金重陶陽・河井寛次郎・川喜田半泥子・北大路魯山人・金城次郎・鈴木藏・濱田庄司・林正太郎・中村六郎・藤原啓・藤原雄・福島善三・ 山本陶秀

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酒器の高価買取ポイント

酒器について

酒器は日本のみならずヨーロッパやアジア、アメリカと各地の酒文化と結びつき、酒の種類だけ酒器も存在するといってもよいでしょう。
酒を供物として奉げる信仰心から神官や権力者が祭事に使用したという側面がある一方で、酒を嗜好品として嗜む文化も同時にまた存在し私たち一般人にとりましても馴染みのあるものとなっております。

どのような酒器が売れるのか?

酒器と一口に申し上げましてもその種類は様々です。日本だけでも徳利や盃、ぐい呑み、お猪口、盃洗などなど枚挙にいとまがございません。人気のある酒器はぐい呑みや徳利といったところになるとは思いますが、それだけで高額買取となるわけではございません。
これは酒器に限らず、骨董品や美術工芸品全般に言えることですが、時代のある作品、アンティーク、有名作家・陶工・工房による作品などが高額査定となりやすい傾向にあります。また青山二郎や白洲正子などの酒器に精通した数寄者が旧蔵していた箱書き等がありますと高値買取となる可能性が大いにございます。

酒器売却のポイント

まずはコンディション・保存状態が大切になります。酒器は他の鑑賞陶磁器と異なり日々の生活の中で使われるケースも少なくありません。お酒を飲む際に使用するということは酒器本来の目的としては正しいので大変悩ましいところなのですが、やはり使用の際に誤って割れや欠けができてしまいますと査定としてはマイナス評価となってしまいます。
桃山時代から江戸時代初期頃の古い酒器は希少性も高いため高額査定が期待できます。
また北大路魯山人や河井寛次郎など著名な芸術家・陶芸家もまた高値買取になるケースが見受けられます。 

酒器に関するよくある質問

酒器の鑑定料や査定料、出張料金やキャンセル代などはかかりますか?

「江戸市川」は査定料や出張料、キャンセル料金などの手数料はいただいておりません。
全国出張買取も無料で行っております。是非お声掛け下さいませ。

割れや欠けのある酒器は買取可能ですか?

内容にもよりますが、たとえ割れや欠けがあっても希少性の高い古陶磁や高名な作家作品などは買取が可能なことが多いです。先ずはご相談いただけたらと存じます。

酒器が汚れているので査定前に洗った方がいいですか?

そのままで鑑定に出すことをお薦め致します。無理に掃除をされますと逆に傷んでしまい査定価値を下げてしまう恐れもございます。価値の高い酒器は汚れがあっても適正な買取価格をご提示させていただきます。

酒器の相場を教えて下さい。

酒器の相場と一口に申し上げましても、時代性や作家性により大きく変わってまいります。またその時の経済状況や市場の熱量も大きく影響します。数百円のものから数千円、数万円、数十万円、中には百万円を超えるものまでと大きく幅がございますので酒器に詳しい専門店や専門業者にお問い合わせください。

価値のある酒器とはどういったものですか?

酒器は古いものであれば時代性、希少性、作家・工房性などが重視され高値買取となる可能性がございます。その分贋作も多く流通しておりますので注
意が必要です。
また「見所」という美的鑑賞ポイントも重視されます。シミやくすみがあるような古い酒器は汚くて一見価値のないものに見えがちですが逆に高額査定となることもございます。
「古い酒器」「汚い酒器」をお持ちの場合は処分される前に一度査定に出されるのもよいかと存じます。

酒器の歴史

酒器の歴史

酒の文化は古今東西問うことなく存在し、日本においては縄文時代頃に伝来した口噛み酒にまで遡ります。酒文化の発展と共に酒器も様々な形で発展を遂げ今に至ります。平安時代ごろまでの酒器は「かけわら」と呼ばれる一回きりで使い捨てる土器でした。当時のお酒はアルコール度数が低かったため大型の木杯なども使用されたそうです。

鎌倉時代頃になりますと酒のアルコール度数も高くなり、花街の発展と共に酒宴が小人数となってきたこともあり小さい盃が用いられるようになります。東海地方の瀬戸周辺で作られる盃や山茶碗と呼ばれるものが使用されるようになったのもこの頃です。また今現在でも神前へ酒を奉げる際に用いられる器として知られる瓶子という細口の壺が酒を注ぐ酒器として用いられておりました。

室町時代頃から銚子や提(ひさげ)、徳利などが用いられるようになります。徳利は当時まだ酒の運搬用と貯蔵を兼ねた一升から三升ほどの瓶だったため、徳利から片口や提へと分け入れ、そこからまた銚子へと小分けにされていたそうです。
桃山時代は茶陶の文化が盛隆を極め、茶席で用いられた小振りな筒茶碗や向付などがぐい呑みなどの酒器として見立てられました。

現代のようなお猪口や徳利が普及するのは江戸時代に入ってからになります。清酒の製造技術が向上し、透明な酒の誕生は見込みを楽しむという文化を生み出します。加えて料理の向付や小鉢がそのまま飲酒に用いられお猪口、ぐい呑みへと転用されました。

また酒宴でも銚子などを用いず徳利からそのまま盃などへ注ぐことが一般化したのもこの頃からです。さらに酒を燗して飲む風習が広まり燗鍋や燗徳利が作られるようになります。
平安時代の貴族が秋の菊の節句から翌年の桃の節句の間まで酒を温めて飲んでいたという記録が残っていますが、基本的には冷酒を飲むのが通例でした。江戸時代中期の儒学者・貝原益軒が著書『養生訓』の中で「酒は冷飲も熱飲も胃腸を壊すからよくない。ぬる燗の酒がよい」と紹介したことに端を発し流行したと云われております。
これをきっかけに燗をするための道具や盃などが流通するようになり「日本酒は燗に限る」という流行が当時の常識となったそうです。