民芸という言葉は民芸運動の中心人物であった柳宗悦や浜田庄司らが民衆的工芸の意味で用いた造語になります。今では素朴で牧歌的な土産品なども民芸品というジャンルで取り扱われることが多いのですが柳らが提唱した意味合いとは異なります。
民芸運動はそれまでの日本美術において評価されてこなかった無名の職人や工人の手による日用品や朝鮮半島での日用品・祭祀器、木工品などにこそ「用の美」があるとし、新しい美術的価値観として提唱した美術運動となります。
名も知らぬ職人の大量生産品は、現代の大量消費をベースとしたマスプロダクトな製品ではなく手工業から作られるため、ある意味で一点ものであり尊いものでもあります。
柳はそこに職人の作為の無さを見出し、無欲で素朴な美しさを「用の美」として称賛します。
手作業の大量生産品は省略の美術です。工程に手間を掛けられませんから余分なことは切り捨てます。なおかつ日用品として実際に使えるものでなくてはなりません。そこで自然と生まれたのが質素美・簡素美です。
その美意識の発見こそ民芸運動最大の功績でしょう。
この新しい美術的価値観に多くの文化人や作家が賛同し大きな流れとなりました。
浜田庄司や河井寛次郎をはじめ富本憲吉やバーナード・リーチ、舟木道忠、金城次郎、島岡達三、芭蕉布復興の平良敏子や紬織の志村ふくみ、さらに数寄者の青山二郎や白洲正子といった錚々たる作家や文化人が民芸運動を支持し民芸の名が知られる様になります。
しかし民芸運動は常に自己矛盾との戦いであり、青山二郎言うところの「概念の虜」なんだと私も思います。
柳宗悦は当時の日本美術と茶道いわゆる「茶の湯」の持つ特権的価値感に対するアンチテーゼとして民芸を推奨するのですが茶の湯で推された茶碗のひとつは井戸茶碗、つまり高麗茶碗です。
柳が高麗茶碗に「用の美」を見出したように、桃山時代の茶人達もまた高麗茶碗に「侘び寂び」の精神を見出していたのです。そして井戸茶碗は抹茶碗の最高峰として高額取引される高級美術品でした。
高価な抹茶碗が民芸でいいのか、この矛盾を真っ正面から突き民芸批判を繰り返したのが北大路魯山人です。道具は道具である以上、高価な美術品の中にも「用の美」は存在するというのが魯山人の考え方です。
また富本憲吉も民芸運動から離れることとなります。富本は常に氏言うところの「安い陶器」作りを考えており機械化による大量生産を良としておりました。これが柳との決定的な思想の相違となり富本は民芸運動から遠ざかります。さらに富本が「個性」を重視したことも離反の原因と云われております。
また数寄者の青山二郎も民芸の美とは結局柳宗悦個人の意識であると断言し袂を分かれます。
民芸運動の矛盾は作家に作家性を消すように、しかしオリジナル性を求めた点も挙げられます。河井寛次郎の作品は民芸か、金城次郎の壺屋焼は民芸なのか、名前が優先された高額な民芸作品は日用品なのか、民芸が好きな方にとっても意見が分かれるところではないでしょうか。
ただ民芸運動によって地方の手工芸品や日用品が活性化したことは紛れもない事実です。民芸運動がなけれは初期伊万里に今の地位はなかったでしょう。
民芸は好きだけど民芸運動は好きではないという声を度々耳にします。私の個人的な見解ですが民芸は先ず何よりも「実際に使えるものであること」が大切なポイントだと感じます。
民芸はやはり鑑賞用の美術品とは異なります、使ってナンボです。だからこそ現在の暮らしの中で、古い古民芸がどういった日常使いができるのか考えてみるのも楽しいかもしれませんね。