松山雅英
共箱
共布
平素より大変お世話になっております。東京都江戸川区での酒器・ぐい呑・骨董買取専門店「江戸市川」です。
今回伺いました地区は東京都江戸川区になります。
江戸川区は東京都東部に位置し江東区や葛飾区、墨田区、そして千葉県浦安市、市川市、松戸市と接する特別区です。
都心へのアクセスの良さ、公園の多さから子育て世代に人気の区でもあります。江戸川区小松川はかつて八代将軍吉宗が鷹狩で度々訪れていた地であり、その際に献上された青菜に地名から小松菜と命名されたと云われております。
今回買取対象となりました酒器はぐい呑みです。
ぐい呑みとは日本酒などを飲むための道具ですが、時代の古い、黄瀬戸や志野、唐津などのぐい呑みはコレクターズアイテムとして人気があり高額買取となる可能性の高いぐい呑みになります。
尤も江戸時代では「ぐい呑み」という名称は使われておらず、元々は向付や薬味・珍味入れの小型の碗がそのままお酒を飲むことに流用されたのではないかとされております。
酒器でぐい呑みとお猪口とありますが、この二点も明確に差があるわけではなくサイズが大きいものをぐい呑み。小さいものをお猪口と呼ぶのが一般的です。
こちらのぐい呑みは「喰呑」と当て字がされており、雅英と箱書きがあります。
松山雅英、孔雀焼(龍野焼)孔雀窯の陶工です。
孔雀焼(龍野焼)は初代松山雅英が戦中に中国大陸に渡った際に中国陶磁器の美しさに心惹かれ古陶磁研究に没頭、1497年(昭和22年)に帰国後兵庫県たつの市に窯を築いたことが始まりとなります。
そして1951年(昭和26年)に窯変孔雀天目釉を完成させ孔雀焼が生まれます。
初代雅英が亡くなった後は妻が二代目雅英を襲名し孔雀焼を支えました。
現在では長女・和子が三代目を継ぎ作陶を続けておりますが、現当主をもって孔雀窯は数多くのファンに惜しまれつつ閉窯されることとなっております。
天皇陛下や高松宮殿下といった宮家に孔雀釉花瓶を献上するなど松山雅英の名は知る人ぞ知る陶工の一人として知られております。
買取致しましたぐい呑みは共箱・共布とあり、割れ欠けない完品でした。
ご依頼者様にお話を伺いますとこちらのぐい呑みはお亡くなりになられたお父様がご蒐集されたものだということでした。
ぐい呑みを集めるのがお好きな方だったそうで生前はお仕事で出張がてら地方の窯元に立ち寄りぐい呑みなどの酒器をご購入されていたそうです。
現在、松山雅英の作品の相場価格はそれほど高額とは言えず、ぐい呑み買取としましては控えめな買取価格となってしまいます。
ご遺族様にご説明させていただき、次の方に使って頂ければとご納得いただける価格にてお譲りいただきました。
この他にもご蒐集されていたぐい呑みなどの酒器を買取させていただく事となり誠にありがとうございました。
酒器・骨董・工芸品買取専門店「江戸市川」ではぐい呑の買取を強化しております。
徳利、盃、ぐい呑み、猪口、蕎麦猪口といった酒器の買取や志野焼や織部焼などの古陶磁のご売却をご希望のお客様は是非酒器・骨董買取専門店「江戸市川」にお問い合わせ下さいませ。
他の買取業者では断られたお品でもご依頼、ご売却いただけます。
電話0120-456-956、web、LINEからお気軽にご相談いただけましたら幸いです。
東京都江戸川区での酒器・ぐい呑の査定はここから↓
東京都江戸川区での酒器・ぐい呑買取は「江戸市川」にお任せください。
東京都江戸川区周辺では以下の地区での酒器・ぐい呑の買取を強化しております。
・江戸川区内
江戸川・一之江・西一之江・一之江町・二之江町・新堀・春江町・興宮町・小松川・東小松川・西小松川町・中央・東小岩・西小岩・南小岩・北小岩・平井・瑞江・東瑞江・西瑞江・上一色・本一色・鹿骨・中葛西・東葛西・西葛西・南葛西・北葛西・篠崎町・東篠崎町・東篠崎・西篠崎・南篠崎町・北篠崎・上篠崎・下篠崎町・船堀・宇喜田町・鹿骨町・松江・大杉・東松本・松島・谷河内・清新町・松本・臨海町
・東京都
足立区・江東区・葛飾区・荒川区・台東区・北区・墨田区・千代田区など
・千葉県
市川市・浦安市・船橋市・千葉市・松戸市・習志野市など
上記以外の関東圏内(東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県)の市町村に加え全国無料にて酒器・ぐい呑・骨董・お酒(古酒・洋酒)などの出張買取を承っておりますのでご遠慮なくご依頼下さいます様お願いいたします。
店舗 酒器・骨董品買取専門の江戸市川
電話 0120-456-956
住所 〒132-0003 東京都江戸川区春江町2-10-15
営業時間 9:00~21:00(年中無休/土日祝日対応)
買取に関する電話 0120-456-956
受付時間 9:00~21:00(年中無休/土日祝日対応)
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今回伺いました地区は東京都江戸川区になります。
江戸川区は東京都東部に位置し江東区や葛飾区、墨田区、そして千葉県浦安市、市川市、松戸市と接する特別区です。
都心へのアクセスの良さ、公園の多さから子育て世代に人気の区でもあります。江戸川区小松川はかつて八代将軍吉宗が鷹狩で度々訪れていた地であり、その際に献上された青菜に地名から小松菜と命名されたと云われております。
今回買取対象となりました酒器はぐい呑みです。
ぐい呑みとは日本酒などを飲むための道具ですが、時代の古い、黄瀬戸や志野、唐津などのぐい呑みはコレクターズアイテムとして人気があり高額買取となる可能性の高いぐい呑みになります。
尤も江戸時代では「ぐい呑み」という名称は使われておらず、元々は向付や薬味・珍味入れの小型の碗がそのままお酒を飲むことに流用されたのではないかとされております。
酒器でぐい呑みとお猪口とありますが、この二点も明確に差があるわけではなくサイズが大きいものをぐい呑み。小さいものをお猪口と呼ぶのが一般的です。
こちらのぐい呑みは「喰呑」と当て字がされており、雅英と箱書きがあります。
松山雅英、孔雀焼(龍野焼)孔雀窯の陶工です。
孔雀焼(龍野焼)は初代松山雅英が戦中に中国大陸に渡った際に中国陶磁器の美しさに心惹かれ古陶磁研究に没頭、1497年(昭和22年)に帰国後兵庫県たつの市に窯を築いたことが始まりとなります。
そして1951年(昭和26年)に窯変孔雀天目釉を完成させ孔雀焼が生まれます。
初代雅英が亡くなった後は妻が二代目雅英を襲名し孔雀焼を支えました。
現在では長女・和子が三代目を継ぎ作陶を続けておりますが、現当主をもって孔雀窯は数多くのファンに惜しまれつつ閉窯されることとなっております。
天皇陛下や高松宮殿下といった宮家に孔雀釉花瓶を献上するなど松山雅英の名は知る人ぞ知る陶工の一人として知られております。
買取致しましたぐい呑みは共箱・共布とあり、割れ欠けない完品でした。
ご依頼者様にお話を伺いますとこちらのぐい呑みはお亡くなりになられたお父様がご蒐集されたものだということでした。
ぐい呑みを集めるのがお好きな方だったそうで生前はお仕事で出張がてら地方の窯元に立ち寄りぐい呑みなどの酒器をご購入されていたそうです。
現在、松山雅英の作品の相場価格はそれほど高額とは言えず、ぐい呑み買取としましては控えめな買取価格となってしまいます。
ご遺族様にご説明させていただき、次の方に使って頂ければとご納得いただける価格にてお譲りいただきました。
この他にもご蒐集されていたぐい呑みなどの酒器を買取させていただく事となり誠にありがとうございました。
酒器・骨董・工芸品買取専門店「江戸市川」ではぐい呑の買取を強化しております。
徳利、盃、ぐい呑み、猪口、蕎麦猪口といった酒器の買取や志野焼や織部焼などの古陶磁のご売却をご希望のお客様は是非酒器・骨董買取専門店「江戸市川」にお問い合わせ下さいませ。
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・東京都
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・千葉県
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