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陶磁器
2021年10月29日

【濱田庄司買取】民芸作家・濱田庄司作品の買取査定ポイント1・2・3【民芸買取】

【濱田庄司買取】民芸作家・濱田庄司作品の買取査定ポイント1・2・3【民芸買取】

 

【民芸作家・濱田庄司作品の買取査定ポイント1・2・3】はじめに

濱田庄司は昭和時代を代表する陶芸家の一人です。柳宗悦とともに民芸運動(民藝運動)の中心となり活躍し、益子焼初の人間国宝に認定されます。

作風は民芸作家らしく素朴でシンプルですが、その中で人の作為を越えた美を追求し続けました。日々の生活の中で使われる日用品にこそ存在する素朴で献身的な美意識「用の美」を追い求めた濱田庄司の作品は民芸ブームが落ち着いた現在でも評価が高く高額買取対象となる可能性が大いにございます。

 

そこで今回は遺品整理や実家整理の中で濱田庄司の作品があった際に、買取をご希望されるなら査定のポイントとなる3点をご案内したいと存じます。

これから濱田庄司作品の査定をご希望の方にとって、少しでもお役に立てれば幸いです。

 

 

濱田庄司作品の買取査定ポイント1ー作風

濱田庄司の作品は「用の美」を追求したものなため湯呑やぐい呑み、角皿、壺、花瓶など酒器や食器など日用品が多いのが特徴です。

その中でも濱田庄司らしい作品や晩年期の円熟した作品が特に好まれます。

濱田庄司は角皿や扁壷などサイズの大きい作品も多く残しており、いずれも人気が高く高額買取される可能性が高いと言えます。 

また赤絵の人気も依然として高く、同じく高額査定となりやすい傾向になります。

ただ濱田庄司は作品数も多く、好んで制作した角皿や角壺、扁壷、湯呑みなどは作風によって買取価格に幅が生じますので注意が必要です。

 

 

濱田庄司作品の買取査定ポイント2ー共箱と真贋

濱田庄司は民芸作家なため作品に陶印を押しません。そのため共箱の有無が買取には必要不可欠となってまいります。

共箱とは作家自身が自らの作品であることを担保するために箱書きをした箱です。濱田庄司の作品は作品自体に印がないため箱書きのある共箱がなくては本人の作品と証明できず買取自体が難しいという買取店も少なくありません。

 

また濱田庄司の作品は贋作が多いことでも知られており、共箱も偽造されたものも存在するため、より注意が必要です。

濱田庄司の作品の真贋を判断する上で重要なのが親族の濱田晋作・濱田友緒の識箱・極箱であることです。濱田晋作・濱田友緒は濱田庄司の指定鑑定人であるため濱田庄司の共箱に濱田晋作・濱田友緒の裏書があれば晋作としての信ぴょう性が高い作品と言えます。

 

ある意味で贋作、偽物の多さは高額買取対象作家の証とも言えますが大変悩ましい問題でもあります。

 

 

濱田庄司作品の買取査定ポイント3ー保存状態

これは濱田庄司の作品のみならず骨董品や美術品の買取査定では重要なポイントといえます。

査定対象の作品に割れや欠け、ニュウがありますと買取査定の評価は下がります。濱田庄司の作品はぐい呑みや湯呑など生活で用いられるものも多く、使用の中で欠けてしまったりする可能性もございます。個人的には濱田庄司の作品は使ってナンボとは思いますが、破損の恐れもあるため大変難しいところでもあります。

 

 

【濱田庄司査定】濱田庄司とは

濱田庄司【はまだ しょうじ・1894年明治27年)12月9日 ~1978年昭和53年)1月5日】昭和時代に活躍した日本を代表する陶芸家です

神奈川県川崎市に生まれ、1913年(大正2年)東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学し、板谷波山を師事し窯業の基本を学びます。また2年先輩の河井寛次郎と出会い親交を結び卒業後は共に京都市立陶芸試験場にて釉薬の研究を行いました。

 

民芸運動の創始者である柳宗悦とは1919年(大正8年)に千葉県我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に出会います。そして翌年の1920年(大正9年)にイギリスに帰国するリーチに同行し渡英、コーンウォール州セント・アイヴスに共同で築窯しました。

1924年(大正13年)に帰国、しばらくは沖縄にて壺屋窯などで学び、そこで金城次郎と出会います。また同年にイギリスで蒐集したスリップウェアを見せるために滞在していた京都の河井寛次郎邸で柳宗悦を河井寛次郎に紹介し民芸運動(民藝運動)について語り合ったと言われております。

 

1930年(昭和5年)には益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始、以後の活動の拠点としました。

濱田庄司の作風は手轆轤のみのシンプルな造形で柿釉や赤絵、塩釉、さらに釉薬の流し掛などの技法を用い素朴で自然かつ大胆な文様を得意としました。

中でも唐黍をモチーフとした「黍文(きびもん)」は濱田庄司のトレードマークとして知られる手です。

そして1955年(昭和30年)にはそれまでの民芸作家としての活躍や功績が評価され「民芸陶器(益子焼)」技術保持者として第一回の重要無形文化財(人間国宝)に富本憲吉(色絵磁器)や荒川豊蔵(志野・瀬戸黒)らとともに認定され、さらに1964年(昭和39年)に紫綬褒章、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章します。

 

濱田庄司は晩年にこのような言葉を残しております。

「私の陶芸の仕事は、京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」

 

濱田庄司は、柳宗悦・河井寛次郎とともに民芸運動(民藝運動)に中心的存在であり、同時によき実践者でもありました。1961年(昭和36年)柳宗悦の没後には日本民藝館二代目館長に就任します。

さらに1970年(昭和45年)大阪万博の日本民芸館パビリオンの名誉館長を経て1972年(昭和47年)大阪日本民藝館の初代館長に就任しました。

そして1977年(昭和52年)には旧居に、作品の参考にするため自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館(現在の濱田庄司記念益子参考館)を開館します。

濱田庄司の次男・濱田晋作、三男・濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家として、四男の濱田能生は硝子工芸家として活躍し、濱田友緒は濱田庄司記念益子参考館の現・館長を務めております。

 

 

【民芸作家・濱田庄司作品の買取査定ポイント1・2・3】まとめ

濱田庄司は柳宗悦とともに民芸運動(民藝運動)の中心となり活躍し、益子焼初の人間国宝に認定された昭和時代を代表する陶芸家の一人です。

戦後起こった民芸ブームもありバブル期は大変高額取引された陶工としても知られております。現在ではその民芸ブームも収まりましたが、濱田庄司の作品人気は高く依然として高額買取対象となる陶芸家となります。

 

濱田庄司の作品買取査定には注意すべきポイントが3点ございます。

その3点とは①作風②共箱・真贋③保存状態となります。

①作風は濱田の得意とする造形や赤絵・流掛、唐黍文などが挙げられます。②共箱・真贋とは「共箱の有無」と「濱田晋作・濱田友緒の識箱・極箱」などが挙げられます。そして③保存状態は文字通りキズや欠け、ニュウなどの有無を指します。

いずれも濱田庄司の作品査定では重要となりますので、もし査定をご希望の際はご確認下さい。

 

 

 

私ども民芸・益子焼・濱田庄司買取専門でもある「江戸市川」ではお客様のお気持ちに寄り添った濱田庄司の作品買取、河井寛次郎作品、島岡達三作品、金城次郎作品、バーナード・リーチ作品などの民芸作家作品買取や民芸買取を心がけております。

他の買取業者では断られたお品でもご依頼・売却いただけます。もちろん無料査定です。
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