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民芸 / 李朝工芸 (朝鮮民芸・朝鮮美術)

李朝工芸の高価買取なら、年間累計買取実績1200件以上の江戸市川が大切なお品を確かな鑑定力で見極めます。

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の査定・買取は「江戸市川」にお任せ下さい。
高麗王朝や李朝陶磁器をはじめ李朝木工、李朝金工、李朝家具といった李朝工芸や朝鮮民画、朝鮮仏などの朝鮮(李朝)民芸は素朴かつ品のある佇まいで我々日本人の琴線に触れるためか、大変人気が高く高額買取されやすい古美術品のひとつです。
そして李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)は「江戸市川」の得意とする酒器との親和性も高いため、他店より詳細に査定買取させて頂いております。
もしお持ちの李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)のご売却や処分を検討されていましたら是非「江戸市川」にお問い合わせ下さい。電話0120-456-956・メール・LINEでのお問い合わせを承っておりますのでお気軽にご相談下さいませ。

李朝工芸

李朝工芸の高価買取ポイント

高額買取されやすい李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の種類

高額買取される傾向にある李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)は高麗や李朝の陶磁器、また李朝家具やソバンなどの膳、木偶や墨壺、木雁といった李朝木工、水滴や筆筒といった李朝文房具・文具、さらには民画や紙縒りなどが挙げられます。
そのほとんどが李朝時代に日用品として使用されていたもので、素朴さと質素さがあります。
中でも特に高額買取となる傾向にあるのが李朝粉青沙器です。
李朝は高麗王朝後に朝鮮を支配した王朝になります。李朝は儒教の教えから「白」を最も高貴な色として求め、それが陶磁器にも反映されました。
李朝白磁に至る前段階の陶磁器を粉青沙器と呼びます。粉引や刷毛目、絵刷毛目、三島などの手は朝鮮古陶磁として茶人や数寄人に重宝され、茶会や酒宴で用いられるようになりました。
茶碗としてだけでなく酒器としても珍重され、各時代の数寄者に愛される器となりました。
今でも李朝の粉青沙器は人気が高く、それに比例して買取価格も高額となる可能性が大いにございます。

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の高額査定ポイント

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の高額査定ポイントは保存状態の良し悪しです。
これは格段、李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)に限ったことではございませんが、コンディションのよいものは高額査定がされやすい傾向にあります。

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)には日用雑器として使用されていたものも多いため割れや欠け、スレなども多く、木地物などはそこまで神経質にならなくてもよいかもしれません。
一方で粉引の徳利や李朝白磁壺、染付、鉄砂といった李朝陶磁器は高額取引される商品なためキズや割れ、欠けは当然少ない方が査定において高評価となります。
バンダジなどの李朝家具は金具の状態の良し悪しも重要な査定ポイントとなりますので李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)を売りたい方はまず保存状態のご確認をお薦め致します。

李朝工芸に関するよくある質問

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の査定見積もりや出張買取に費用はかかりますか?

「江戸市川」では李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)査定や出張買取に関する手数料をいただいておりません。加えて無料にて全国出張買取も承りますのでお気軽にご相談くださいませ。

父が集めていた遺品の整理をしていたらと李朝とメモされた骨董品が色々出てきました。どれに価値があるのか分からず困っています。どうしたらいいですか?

江戸市川では一点一点拝見し丁寧な査定をさせていただいております。ご遺品が李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)かどうかも含めて拝見させていただきます。量が多い、サイズが大きくて持ち運べないなどお困りでしたら是非「江戸市川」にご相談下さいませ。

ホコリで汚れている李朝木工など李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)は査定の前に清掃した方がいいですよね?

そのままの状態で構いません。汚れを落そうと洗浄された際に破損させてしまう恐れもございます。汚れていても適正な買取価格をご提示させて頂くのでご安心くださいませ。

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の買取相場を教えて下さい。

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)のジャンルは幅広く、それぞれで買取相場は異なります。また経済情勢やマーケットのトレンドも買取相場には大きく影響しますので、経済や李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)に詳しい買取店にご相談いただければと存じます。

李朝工芸の歴史

李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)と柳宗悦

今日の李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の評価は民芸運動の中心人物・柳宗悦最大の功績と言っても過言ではないでしょう。
千葉県に我孫子という地名の場所があります。ここは私の生まれ育った故郷でもあり大変馴染みのある場所なのですが、大正時代には北の鎌倉と呼ばれ白樺派の作家をはじめ知識人、文人に愛された地でもあります。そして柳宗悦もまた大正3年に我孫子に移り住んでいました。
そこで浅川伯教が訪ねてきて柳は李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の美しさを知ります。
柳は李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)の中に職人達の無垢な献身の心と儒教の潔白さを見出し絶賛します。柳は思想家であり宗教家です。李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)こそ自身の哲学を体現したものと捉え、後にソウルで朝鮮民族美術館を設立するようになります。

無名の職人によって作られた民芸には「用の美」が宿る、それまで見向きもされてこなかった李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)に日の目が当たり民芸運動初期メンバーの青山二郎も晩翠軒の社長の依頼で李朝陶磁器を買い集めるなど一気に李朝ブームが起きました。

李朝ブームになると価格の高騰化と贋作が大量に出回るようになります。大正李朝と呼ばれる李朝風の焼き物が焼かれ、それらが李朝陶磁器として売られたものも少なくなかったようです。
柳の民芸に対する理想と民芸商品の価格高騰という現実はなかなか折り合いがつきません。それは李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)も同様です。柳が嫌った高価な鑑賞用陶磁器と同じように安価なはずの大量生産品の雑器が高額で取引されるという現実に、無名の職人のはずがいつの間にか作家化する現実に民芸批判が多かったのも事実です。それに対し柳は明確な反論をしておりません。

柳を批判することは簡単です、事実、民芸運動のメンバーだった青山二郎は離反します。ただ、無価値と思われていた李朝工芸(朝鮮民芸・朝鮮美術)が柳宗悦の美の眼により世に認められる美術工芸品となったという一点だけは揺らぎようのない事実なのです。