0120-456-956
ブログ
木彫りの熊/アイヌ民芸
2019年10月02日

【木彫り熊買取】木彫りの熊を処分する前に抑えておきたいポイント

 

【木彫りの熊買取】はじめに

北海道のお土産といれば木彫りの熊が定番、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

昭和時代の家庭では「ブラウン管テレビの上にちょこんと木彫りの熊が置いてある」「玄関先に飾ってある」など気軽な置物・インテリアとしてよく目にしました。

しかし現在では住宅事情も変化し床の間など飾る場所がなくなりつつあり「木彫りの熊の置き場所に困っている」というお声を耳にすることがあります。

 

そもそも木彫りの熊は売れるのでしょうか。そう思われる方も少なくないはずです。

結論から申し上げますと木彫りの熊は高額買取の可能性を秘めた農民美術作品・アイヌ民芸品です。

 

・家にある木彫りの熊もひょっとしたら高い価格で売れるかもしれない

・家族の集めていた木彫りの熊が沢山あって困っていたけど買取ってもらえるのかもしれない

・木彫りの熊を可燃ごみで処分しようと思っていたけど高額査定になるものかもしれない

 

今現在木彫りの熊を処分されようと検討されている方で当ブログを読まれたら、そう思われたのではないでしょうか。

木彫り熊高額査定、その理由とどういった木彫りの熊が高額査定となるか、以下で詳しくご説明いたします。

木彫りの熊を売りたい・処分したい・買取して欲しいと思われた方にとってこのブログがお役に立てれば幸いです。

 

【木彫りの熊買取】木彫りの熊とは

木彫りの熊といえば鮭を咥えた熊を思い起こす人が多いのではないでしょうか。

木彫りの熊は木彫り熊や木彫熊、そして熊彫とも呼ばれておりました。

  

この木彫りの熊、アイヌ民芸品としてイメージされる方も少なくないと思いますが、実はアイヌ文化においてヒグマはキムンカムイ、つまり「山に住む神」を意味する敬うべき霊的な動物であり、且つ動物などの姿をリアルな姿に彫ったものは「魂を持って悪さをする」と考えられており、この二つの理由から自発的に木彫りの熊を彫ることはタブーであったとされていました。

 

木彫りの熊のルーツは2つ 

では誰が木彫りの熊を始めたのか、それは大正時代に遡ります。

1923年(大正12年)に当時北海道開拓で農地運営をしていた尾張徳川家19代当主・徳川義親により北海道八雲の地で始められました。

北海道八雲町はもともと明治維新で失職してしまった旧尾張藩士のために尾張徳川家が1878年(明治11年)明治政府に開拓地として払い下げを求めた地です。

その後1910年(明治43年)に開拓された八雲の土地を移住者に無償譲渡するようになりました。この時の尾張徳川家当主が19代目徳川義親です。

 

義親はアイヌ文化の継承にも力を注ぎアイヌの父と呼ばれたイギリス人宣教師のジョン・バチュラーと交遊を深めアイヌ研究へ援助をしました。

また義親は度々八雲の地を訪れ農村に暮らす人々の生活の苦しさを目の当たりにします。この時代は全国的に農村から都市部への移住が多くなり農村生活が悪化している時代でもありました。

そこで冬の間の収入源として義親は木彫りの熊作りを奨励するようになったのです。いわゆる「八雲の木彫り熊」の始まりです。

これは義親が1921年(大正10年)にヨーロッパ旅行をした際に途中で立ち寄ったスイスのベルンで木彫りの熊を見つけたことに端を発します。

この時代のヨーロッパ美術にペザントアートがありました。ペザントアートとは「農民美術」と訳され日本に入ってきます。農閑期にスイスの農民が木彫りの熊を観光客相手に売って生計を立てているのを見た義親は八雲でも木彫りの熊が作れるのではないかと考えスイスの木彫り熊を持ち帰ります。

 

義親は八雲の農場で働く農民や近辺に住むアイヌの人に「出来の良し悪しに関わらず買い上げる」という約束し木彫り熊作りを推奨します。

そして1924年(大正13年)第1回八雲農村美術工芸品評会を開催し木彫りの熊の展示即売を行いました。

この品評会には伊藤政雄が作った北海道第一号の木彫り熊をはじめ1000点以上の木彫りの熊が集まり展示されました。

 

その後各地の品評会において木彫りの熊が出品されると入賞をするようになり1927年(昭和2年)に伊藤政雄の木彫りの熊が北海道奥羽六県連合副業共進会において一等賞を獲得し

八雲の木彫り熊は全国的に知られるようになりました。

 

ブランド化に成功した八雲の熊を継続的な事業とするため、農民美術の中心として発展させたいという思いもあったのでしょう、当時八雲で静養中だった日本画家の十倉金之(十倉兼行)を招き木彫り熊第一人者・伊藤政雄と共に講師として八雲農民美術研究会を発足、講習会を開き木彫り熊作りの技術向上と後進の育成にも力をいれるようにあります。

その時の受講生が柴崎重行茂木多喜治、中里伊三郎です。 

  

  

木彫りの熊のもうひとつの産地が北海道旭川になります。

八雲の木彫り熊がスイスの木彫り熊をベースにしていることに対し旭川の木彫りの熊は旭川アイヌの伝統文化に基づいていると云われております(諸説あり)。

アイヌの人々は生活の中で彫刻が身近にあったと言えます。マキリと呼ばれる小刀を持ち伝統的なアイヌ文様を継承してきました。

そして旭川という場所は明治時代に旧日本陸軍を相手にしたお土産品の需要がありアイヌの民具をお土産として商う商店が開業します。

 

そんな中、旭川で初めて木彫りの熊を彫ったのは松井梅太郎というアイヌの人物だったと云われております。

先述したようにアイヌ民族では生物、特に熊を彫刻することはタブー視されていたはずですが和人の観光客や軍人と交流があった旭川では他の地域に比べ習慣に囚われず、新しい発想を取り込んでいく柔軟な土壌があったと考えられています。

1926年(昭和元年)に松井梅太郎により作られた最初の木彫りの熊は同じように風習に囚われない旭川アイヌの若者達の間で大変な話題となりひとつの産業として定着するようになりました。 

 

【木彫りの熊買取】木彫り熊の高額査定のポイント

木彫り熊の売却を検討されている方はこれから述べるポイントを是非ご確認頂けたと思います。 

 

上記の通り、木彫りの熊は北海道の八雲町と旭川市を中心に作られた木工品です。

時代のある木彫りの熊は当時お土産品であっても希少性高く現在では骨董的価値、美術工芸品的価値が加味され高額での買取が可能になります。

もちろん爪が折れてしまっていたり、経年劣化により割れなどが生じてしまったなどの保存状態が査定を左右することは言うまでもないのですが、それでも尚時代のある木彫りの熊は高値買取の可能性が十二分にございます。

そこで「高額買取になりやすい木彫りの熊の見分け方」をいくつか実際にご紹介したいと思います。

 

①ガラス目の木彫りの熊かどうか

黒いガラス玉が使用されている木彫りの熊は時代のある木彫りの熊の場合もあり高額買取に繋がるケースも見受けられます。

これは八雲の木彫り熊のベースとなったスイスの木彫り熊の目がガラス目だったことに由来します(ただし大正時代当時の八雲の木彫り熊は、ガラス玉がなかったのか、釘を打ち目の代わりにされております)。

 

②口が赤く塗られているかどうか

これもスイスの木彫り熊の口が赤く塗られていたための仕様です。

 

③「八雲」と焼印が入っている

1931年(昭和6年)頃から品評会で評価の高かった木彫りの熊には足の裏に「八雲」の焼印を入れ販売され始めます。「八雲の熊彫」は当時の一代ブランドとして知られております。

 

④「面彫り」や「毛彫り」の技法が施されている

「面彫り」とは熊の形を面で表現した手法です。かなりディフォルメを利かせたメリハリのある表現方法で木彫り熊コレクターに人気がある手法です。

一方で「毛彫り」とは日本画家の十倉の影響により木彫りの熊に毛の流れを繊細に表現する技法になります。菊型毛と呼ばれる八雲の木彫り熊独自の表現方法で実際の熊の毛の流れとは異なるのですが日本画のような優雅さを感じさせます。

 

⑤足の裏や台座に名工の銘が入ってるかどうか

木彫りの熊には名工と呼ばれる作家がおります。北海道で初めて木彫りの熊を作った伊藤正雄や日本画家の十倉金之(十倉兼行)をはじめ、鈴木吉次、土屋金三郎、中里伊三郎【中里自寛・朴瑩)、柴崎重行(志)、茂木多喜治(北雪)、岡本太、上村信光、引間二郎(木歩)、土屋康之助、加藤貞夫、そして松井梅太郎、平塚賢智などが挙げられます。

 

 

 

 

木彫り熊の買取で特に重要なことが③・④・⑤です。

①と②に関しましては当時の木彫り熊を復刻する意味合いで作られた比較的時代の若い作品も少なくありません。

しかし③のものは戦前に作られた木彫り熊の可能性が高く、また④の技法で作ることができる木彫りの熊作家が⑤であることが多く見受けられます。

例えば柴崎重行の「面彫り」は「柴崎彫り」や「ハツリ彫り」とも呼ばれており、その独特な表現法は木彫りの熊愛好家から絶大な人気を博しております。

 

加えて藤戸竹喜や中尾龍童、平塚賢智、斎藤盛雄、床ヌブリ、堀井清司といった北海道を拠点とした彫刻家の手による木彫りの熊も高額買取の対象となる可能性がございます。

 

 

そして、まさかと思われるかもしれませんが、木彫りの熊にも「贋作」が存在します。

とりわけ多いのが柴崎重行の贋作です。面彫りという独特の技法自体は真似されやすく、あまり木彫りの熊に関心のない方では作行の見分けは難しいかもしれません。

木彫りの熊をメルカリやヤフーオークションなどの個人間取引で売却しようと思われている方はそういった「真贋」のトラブル等も考えなくてはいけないかもしれません。

 

木彫りの熊を処分する前に抑えておきたいポイント】まとめ

木彫り熊買取のポイントは「ガラス目」「赤い口」「八雲」「技法」「作家性」になります。

時代のある木彫りの熊は骨董品的価値が加わり高額買取に繋がる木工品になります。

しかし木工品であるが故にコンディション・保存状態の良し悪しも査定の重要なファクターとなります。

ご自宅に古い木彫りの熊がある、一見古いものに見えるけれど実際どうなのか判断に迷う方も少なくありません。特にあまり木彫り熊にご関心のない方ですとどれも同じ熊の置物に見えてしまうかもしれません。 

 

そこで木彫りの熊の価値をお知りになりたい方は買取業者の査定にご依頼することをお薦め致します。

お持ちの木彫りの熊についてきちんと説明ができ、正確な鑑定と査定ができるか、木彫りの熊に精通した買取業者の選択が必要になります。

また木彫りの熊はアイヌ民芸品という一面もございますので木彫りの熊のほかマキリなどのアイヌ民芸品もお持ちの場合もあるかと思います。その際はアイヌ民芸にも詳しい買取業者ですと木彫りの熊の他、マキリやイタなどのアイヌ工芸の査定もスムーズに進むためお薦め致します。

 

最近では「木彫り熊 売却」や「木彫りの熊 買取」などとネット検索しますといくつもの買取業者がヒットするかと思われます。

最終的にはその中からお客様に合った、お客様に寄り添った対応のできる買取業者にお問い合わせ頂くのが肝要かと存じます。ほとんどの業者がLINEなどの簡易査定のサービスを行っているため気になる業者が見つかりましたら査定の見積もりを依頼されるのもよいかもしれません。

 

私たち「江戸市川」では木彫りの熊の買取査定を強化しております。

もしお持ちの木彫りの熊のご売却や処分を検討されていましたら是非「江戸市川」にお問い合わせ下さい。

他の買取業者では断られたお品でもご依頼・売却いただけます。

ご実家整理中に出てきた木彫りの熊がございましたら先ずは「江戸市川」にご相談いただければと存じます。

 

 

 江戸市川の木彫りの熊買取査定詳細はコチラ↓

「江戸市川」の木彫り熊買取査定はここから


酒器・骨董買取専門店「江戸市川」

 

住所:132-0003江戸川区春江町2-10-15

 

電話:電話0120-456-956

(受付時間午前9時~午後9時)