ピカソの出世作に『アヴィニョンの娘たち』があります。
バルセロナのアヴィニョン通りに存在した売春宿の5人の遊女を描いたヌード画ですが、その造形は遠近法等を用いたそれまでのヨーロッパ絵画とは一線を画す、まさに革命的な作品として世間を大変驚かせました。
『アヴィニョンの娘たち』には明らかにアフリカの仮面からインスピレーションを得たことを感じさせる造形とともにオセアニアの原始美術やエジプトの古代壁画の様な造形にも見えます。
アフリカの仮面にあるプリミティブ(原始的)さについてピカソは「独創的な芸術スタイルを解放する」と説明しました。
ヨーロッパでプリミティブアートに感銘を受けた画家にアンリ・マティスがいます。
ピカソのアフリカ美術の中にみた新たな美へ繋がる探求心の発端はマティスがアルジェリアで入手したアフリカ彫刻と1907年のアンデパンダン展に出品されたマティスの作品『生きる喜び』を見たことと云われております。
『アヴィニョンの娘たち』は初期キュビズムの発明へと繋がり、その後の近代絵画に大きな影響を与えます。
ピカソの言う独創的な芸術スタイルの確立、それまで当たり前だった遠近法からの解放はまさしく絵画の革命と言っても過言ではないでしょう。
絵画が初めて抽象性を手に入れたのです。
19世紀から20世紀にかけてヨーロッパ列強はアフリカを植民地化しました。そこで出会った非西洋の文化にアーティスト達は影響を受けます。もっともピカソ自身はアフリカ部族のマスクから影響を受けたことを否定しています。
これはアフリカ民芸(アフリカアート・アフリカ美術)がヨーロッパ列強のアフリカ植民地支配による戦利品であり、そこからインスピレーションを受けたことに対する認めたくない嫌悪感だったのかもしれません。
これは余談ですがアンリ・マティスは晩年期の切り絵制作にはクバ布の幾何学模様が影響していると云われております。