お猪口は元々が茶懐石などの際に用いられた向付や小鉢がそのまま飲酒用に転用されたと考えられております。蕎麦猪口は人気のコレクターズアイテムとなり中には高額買取を期待できるものもございます。
もしおお猪口や蕎麦猪口のご売却や処分を検討されていましたら是非「江戸市川」にお問い合わせ下さい。電話0120-456-956・メール・LINEでのお問い合わせを承っておりますのでお気軽にご相談下さいませ。
お猪口は元々が茶懐石などの際に用いられた向付や小鉢がそのまま飲酒用に転用されたと考えられております。蕎麦猪口は人気のコレクターズアイテムとなり中には高額買取を期待できるものもございます。
もしおお猪口や蕎麦猪口のご売却や処分を検討されていましたら是非「江戸市川」にお問い合わせ下さい。電話0120-456-956・メール・LINEでのお問い合わせを承っておりますのでお気軽にご相談下さいませ。
お猪口や蕎麦猪口は茶懐石などで使われた向付や珍味入れの小鉢の転用という見方が一般的です。そのため時代的にはお猪口でしたら桃山時代から江戸時代初期のもの、蕎麦猪口ですと初期伊万里といった具合に時代のあるもの、古い猪口や蕎麦猪口が高額査定対象となりやすい傾向にあります。
現代になりますと作家性も高まり、人間国宝の陶工の作品が百貨店やデパートなどで高値で販売されるようになりました。お猪口もまた同様です。
お猪口や蕎麦猪口は酒宴の道具とありますので数量もまた買取のポイントとなることもございます。旧家などでは宴席のために伊万里焼や九谷焼のお猪口や蕎麦猪口のセットを何客も揃えて持っているケースも少なくありません。大量生産に準じたものとはなりますが数が多い分買取に向いているのもまた事実です。
お猪口や蕎麦猪口は今でも晩酌にお使いの方もいらっしゃるように、いわゆる生活骨董とも言える側面がございます。それ故に傷もつきやすく割れや欠けができてしまうケースも見受けられます。
骨董品全般に言えることですが、保存状態の良し悪しはどうしても査定において重要な要素となります。ただし傷があっても絵柄の良さや作行きなど作品の持つポイントを総合的に判断し査定することになりますので買取できるかどうかの判断はご自身でせず鑑定士に見てもらうのがよいでしょう。買取できないと思っていたお猪口や蕎麦猪口が思わぬ価格で買取されることも間々ございます。
また、お猪口や蕎麦猪口では人気のある絵柄や文様も買取のポイントとなります。動物文様や人物文様などは需要があるため他の絵柄に比べ高値買取となる可能性もございます。
古いお猪口や蕎麦猪口は染付の藍もぼんやりしていたり、釉薬も液垂れのようにぼってりとしていたり、お猪口の表面にシミや滲みがあったりと、汚くて一見では全く価値がないように見えるかもしれません。しかしそういった、作った者の作為が全く感じられない自然が生み出した景色を数寄者は見所として捉え珍重しました。
逆を言えば、贋作と呼ばれるものは「自然に見せよう見せよう」としてかえって不自然な作行きとなってしまうものがほとんどです。
案外「価値があるかどうかわからないけど、このお猪口はなんか古そうだ」というお客様の直観が正しいこともしばしばございます。
もし古いとお感じになったお猪口や蕎麦猪口がございましたら是非私たち「酒器買取専門の江戸市川」へお声掛けくださいませ。
いいえ、「江戸市川」では査定に関する料金は一切いただいておりません。宅配買取の送料や全国出張買取も無料にて承っております。是非お問い合わせ下さいませ。
汚れはお気になさらず、ありのままの状態で拝見させていただければと存じます。無理に洗浄をされますと逆に損傷してしまう恐れがございます。
もちろん可能です。また査定の価格をお聞き頂き、お客様のご納得いかない価格であれば遠慮なくお断り頂いて構いませんのでご安心ください。
お猪口や蕎麦猪口と偏に申し上げましても、作られた時代や作行きは様々で異なります。宴会用の大量生産品のお猪口はどうしても相場は低く、逆に江戸時代初期の初期伊万里の蕎麦猪口で見所もありますと1客で5万円以上で買取可能なケースも見受けられます。
お持ちのお猪口や蕎麦猪口の価値が気になる方は是非「江戸市川」にお問い合わせくださいませ。
できる限りお手伝いさせていただいております。ご不要となったものでも一品一品査定させていただきます。
お猪口や蕎麦猪口は元来本膳料理や茶懐石等で出される和え物や酢の物、あるいは珍味といったものを入れていた向付や小鉢だと云われております。
その席において酒を飲む際、空いた向付にそのまま酒を入れ嗜んだのでしょう。
骨董ファンのみならず、女性に人気のあるコレクターズアイテムの蕎麦猪口もまたそういった向付や小鉢が元となっております。
蕎麦を一般的に食べる様に合ったのは江戸時代中期から後期頃、その頃は日本で最初に磁器を製造した伊万里焼が海外向けの輸出品製造から国内向けの日用雑器生産へシフトした磁器でもあります。
食事時に薬味入れなどで使用された小鉢などのサイズがそば汁入れにもちょうどよかったのでしょう、小鉢のそば汁入れへの転用は江戸での蕎麦文化の広がりと共に一般化した様です。
蕎麦をあまり食べない農村部や山間部でも同手の蕎麦猪口が大量にあったことがわかっています。これは庄屋など地元の名家がそこに住む農民が結婚式を挙げる際、酒宴に伊万里焼の食器を貸し出した為と云われております。そのため庄屋は向付や小鉢だけでなく伊万里の大皿や膾皿なども晴れの日の宴会用に何客も保管していました。
お猪口や蕎麦猪口は江戸時代は晴れの日のための食器でもあったため文様にも吉祥文と呼ばれる縁起のいい文様が描かれることも少なくありませんでした。
明治時代以降には海外からベロ藍と呼ばれるコバルト系の化学顔料が輸入されるとともに銅版転写という印判技術の向上により、より鮮やかで描写の細かい絵柄のお猪口や蕎麦猪口が流通するようになりました。